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AQL日記

能登麻美子さんを愛する犬AQLの、読むと時間を無駄にする日記です。"非モテの星から来た男"のMEMEを云々。

『エターナル・サンシャイン』

■24歳初の映画

は『エターナル・サンシャイン』だった。さて、感想でもつらつらと書こうかなと思う。
主演はジム・キャリージム・キャリーといえば『マスク』か『キック・アス2』だった僕にとって、今回の彼は意外だった。だって完全にカート・コバーンじゃん。すげぇわ。今回はピーマン野郎の面影はどこにもなく、ただただ悲愴感漂うカートがいた。そーいや僕は『LAST DAYS』好きだったんだけど、あんま評価がよろしくないらしい。吹き替え、三木眞一郎なのに。

さて、このブログは別に作品のストーリーとかを細かく説明したりする親切設計はしていない、今のところ。必要なら足していくつもりだけれど、何しろまだはてなさんの機能を恐る恐る試してる段階だから何とも。ネタバレに関しても、数年とか古い映画の場合は特別注意書きをしたりはしないと思う。なのでもしあれだったら気軽に戻ってほしい。

とりあえずカート似のジム・キャリーが、すれすれで電車に飛び乗るシーンから始まる。『スライディング・ドア』は関係ない。この映画、知人に薦められたのだけれど、想定していた感じとこの始まりとではまったく違っていて、正直困惑した。
とは言え、物語は恋愛映画とSF映画をうまく行ったり来たりしていて、その塩梅がとても心地よかった。てか受付嬢のキルスティン・ダンストってジェイク・ギレンホールの元恋人なのね。ジェイクはブロークバック・マウンテンで好きになった俳優。でも『ゾディアック』の感想とかは書かない。
で、このジム・キャリー、自分に少しでも関心を示してくれた人をすぐに好きになってしまうらしい。僕か。そういう感じ、すごく共感できるようにも思う。好きになるタイミングとか理由ってのは案外ぶっ飛んでるものだ。そんな彼の号泣でオープニングタイトル。

この映画は「記憶」や「記憶操作」をモチーフにしている。思い浮かべるのは『メメント』でも『アルジャーノンに花束を』でもマシニスト』でもいいけど、今回は「記憶図」というガジェットを用いていて、これが僕には新鮮だった。SFに寄りすぎるわけでも、かといって中途半端にご都合主義的なあやふやな説明でもなく、とてもしっくりと来た。それはこの映画があくまで恋愛映画であるということに起因するかもしれない。
そんなわけで、この映画では記憶が操作される。恋人のことなんか忘れてしまおうってのが、なんだかとてもあっさりとしていて、医者自身それを「脳障害に似たもの」と言いながら、被験者たちは記憶をいじることにさほど抵抗がないように見える。
たしかに忘れられない相手ってのはいるもので、クズみたいな女ほど自分に必要なときだけすり寄ってきたりするからたちが悪い。僕も使いたいわ、それ。

けれどカート・コバーンジム・キャリーは、記憶消去の途中でそれに抗おうとする。崩れていく夢世界で、それを止めようとする。するとどうだろう、もう完全に今敏の世界にならざるを得ない。あるいはヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』のような。そうだよ、ここだよ。僕が薦められた箇所は。というわけでこの辺りからどどっと面白味が増した。場所は連続性や整合性を失い、記憶の改竄によって物の大きさも安定しなくなる。家屋が崩れたりしたらもう寺山修司だ。今敏監督の『パーフェクト・ブルー』とか『千年女優』のような、虚実入り混じる演出は、しかしこの映画に於いてはとても気持ちがいい。美しいと言ってもいいかもしれない。綺麗なのだ。今敏監督やヤン・シュヴァンクマイエルがどうしても焦燥感や不安感を纏いながら虚実を混淆させたのに比べて、この映画のそれはどこか落ち着いている。いや、もちろんハラハラするし、(ある意味で)怖かったりもするのだけれど、それでもどこか安心してみることができる。それもまた恋愛映画という殻を纏っているからなのだろう。

「記憶は生焼け」という台詞があって、思わず笑ってしまった。記憶修正の途中で失敗した場合どうなるかということを、そんなふうに表現していた。よくよく考えてみれば記憶障害や意識障害を引き起こしかねない(というかそうなるだろうと示唆されている)のに、そんなふうに表現してみたりして、しかもそれがこの映画には最適のように思えるのだから、どれほど雰囲気が恋愛映画しているのか解ると思う。まあ、恋愛映画なんだから仕方ない。これが黒沢清の映画で、役所広司の台詞だったりすると、意味合いはがらりと変わってしまったに違いない。てか怖すぎる。

作中、ニーチェ『善悪の彼岸』から「忘却はより良い前進を生む」という言葉が繰り返し引用される。これがこの映画の核心で、言ってしまえばこの言葉に尽きる。ここで「忘れねばこそ思い出さず候」とか思い出した人はあとでキムの館に来なさい。

『ブルー・バレンタイン』とは違うけれど、この映画でも男女は何度も衝突を繰り返す。それでもポジティヴな恋愛映画として成立している。「どうにかなるさ」という、諦念を超えた達観が感じられる。これをがっちりと得ることこそが前進であり、また「より良い前進」足りうるのだ。
「いつか嫌いになってもいい。とにかく今は一緒にいようじゃないか」
そんなふうに映画は少しだけ前を向く。
僕も少しだけ前を向く。

とりとめもない感想になってしまった。少しずつ書き方を覚えて行こうと思うが、今日はこれで良しということにした。