AQL日記

能登麻美子さんを愛する犬AQLの、読むと時間を無駄にする日記です。"非モテの星から来た男"のMEMEを云々。

【SS】林檎の話【師匠シリーズ】

※以下に掲載する短編小説は、敬愛する「師匠シリーズ」と呼ばれる一連の作品のSS、いわゆる同人小説です。2012年に書いていたものが出てきたので、貼っておきます。ウニさんのオリジナルではありませんので、こういった同人SSを嫌悪される方はお読みにならないようお願い致します。拙いものですが、始めたばかりのこのブログの幅を広げる意味も込めて貼らせていただきます。


   *  *  *



『林檎の話』


「これが何だか解る?」
「……はあ」

大学二回生の初秋だった。
その日の俺は、ついこの前まで熱っぽく脳裏にこびりついていたある事件から心身ともにようやく解放されたような気分で、師匠のアパートに来ていた。
師匠というのは俺が勝手に呼んでいただけなのだが、師匠に値するだけのモノを彼は持っていた。その最たるものが、オカルトだ。彼は俺のオカルト道にとっての師匠だった。
その師匠が不意に訊いてきたのが、
これが何だか解る?
というものだった。
手には、先程出された皿に載った林檎、その一かけ。皿には、林檎二個分くらいの量が載っている。

「……はあ、林檎でしょう」

うん。師匠は頷く。
それはそうだろう。もう何かけも食べているのだ。今更違うと言われても困る。

「林檎だね」

シャリ、と師匠の口元で林檎が鳴った。俺も一かけ指先につまむ。師匠が剥いた林檎は、粗暴なイメージのある彼にしては珍しい、綺麗な形をしていた。皿に載った何かけかを比してみても、ほとんど揃った大きさに見える。

でも、と師匠はやがて続けた。

「でも、林檎の中身は林檎じゃない」
「は?」

何を言い出すんだと思いながら、しかし俺はつっこまずに耳を傾けた。こういう突然の切り出しは、師匠との会話では少なくなかった。今度はどう来る、といううずうずした気持ちが湧くのが常だ。

「林檎というイメージはどんな形をしている?」と師匠。
「そりゃ、赤くて丸くて……」
「でもこれは赤くもないし丸くもない」

師匠は剥かれた林檎を一かけ、目の前に掲げて言った。皮の剥き残しもない、形も揃った一かけだ。

「そりゃそうでしょう。師匠が剥いて、師匠が切ったんでしょう?」
「うん、そうだね。これは普遍的なイメージとは違うけど、林檎だ。まあ、間違いはないだろう」

何を言いたいのか、明瞭な輪郭線を描こうとしない師匠の言葉では見えてこない。業を煮やして、俺は語気を強めて問うた。

「それがどうしたんですか。林檎は林檎ですよ、剥かれても、切られても」

すると師匠は僅かに目を細め、

「林檎の中にあっても、林檎の種は林檎じゃない」

と呟いた。
林檎の種が林檎じゃないのは当たり前だろう。俺は続く言葉を待つ。

「きみの言った林檎のイメージは、木になっている林檎か、あるいはそれを収穫したまま手付かずのイメージだね。皮も剥かれていない状態」
「そうですね」
「だけど、なら種も林檎のイメージに内包されていることになる。それなのに「林檎の種」という形で言い表すことで、林檎との差別化が図られている」
「でも単純に種と言ったら、何の種か解りませんよ」
「そうだね。ならその「林檎」と「林檎の何か」を隔てる一線は何だと思う?」

林檎と、林檎の何か。林檎は解る。
林檎の種、林檎の皮、林檎の木、苗、芽……。

「食べられること、ですか」

師匠は頷きを返す。まあ正解だろうね、と付け加えて。

「じゃあ話を戻そう。林檎の中身、だったね。もし林檎ってものが食べられる部分を指すなら、林檎の中身ってのは変な言い回しになるな」
「全体を包括する名称としても林檎と言いますから、いいんじゃないですか?」
「そう、林檎は剥かれても切られても林檎だ。じゃあ……」

すりおろされた林檎は林檎かい?

「……さっきも言った通り、林檎ですよ」

俺は呆れたように答えた。シャリと林檎が小気味よい音をたてる。
何を言いたいのかさっぱり解らず、うずうずとした興味も冷めかけつつあった俺だが、しかし次の一言で意識が冴えた。

「すりおろされた人間は人間だろうか」

突然林檎から死体の話へシフトしていた。しかもかなり物騒な命題だ。唾液が喉を刺戟して、落ちる。

「林檎はすりおろされても林檎だったね。なら人間も同じだろうか」
「それは……そう、なんでしょう」
「人間から死体に変容しているという概念的なものは別にして、人間はその形を失っても一応は人間として在るわけだ。なら、霊的な存在にとってはどうだ?」

霊的な存在にとって?
俺はそのとき、夏に起きた事件を思い出していた。バラバラになった轢死体が絡む、強烈な一件だった。
しかし、霊的な存在にとっての人間の形とはどういうことだろう。俺は返事の代わりに小首を傾げる。

師匠はそれを見ると、皿に載った林檎を一かけ手に取り、俺の目の前で二つに割った。芯と種を切り落としてV字の形になっていた林檎は、その細まった部分からぽきりと折れた。その片方を見せ、

「これは林檎だ」

そしてこれも、ともう一方も俺に見せる。

「しかしこれをすりおろしたとしよう。それはそれで、確かに林檎だね」
「はあ」
「でももし、二つの林檎をすりおろして混ぜたとしたら、どうなると思う?」

師匠は無表情に問う。
混ぜたとして……でもそれでも林檎であることに変わりはない。
そう言うと師匠は、

「それが人間でも?」

と重ねた。
相変わらず吐き気を催しそうな話題だ。俺がそれに頷くと、

「じゃあ、僕ら二人だったら?」

喚起されるように、俺と師匠が混ざるシーンを想像してしまい、俺は眩暈を覚えた。無惨な轢死体となった二人の死体が拾われ、駅員のバケツで撹拌される……。
俺と師匠を隔てるものがなくなる。それは人間ではあっても、俺と師匠という別個のものではない。
解りません、と俺は小さく答えた。
師匠は、それに僅かばかり破顔する。

「この手もこの眼も、今僕にくっついているから僕のものだと解る。けれどそれが僕という本体を離れたとき、それは僕のものだと言えるだろうか。それが混ざったとき、どうすればどれを僕だと認識できるだろうか」
師匠は真剣なまなざしで、誰にともなく問うように続ける。
「霊を“霊”という一くくりに纏めてしまったとき、人はそれを“一人の霊”として認識できるんだろうか……」

すりおろされた林檎の量なんて解らない。それが一個でも二個でも、曖昧にしか。
それが霊的な存在に及んだとき、霊もまた自分がどこまで自分なのか解らなくなるのだろうか……。

「林檎の皮を被っていても、それがAの林檎かBの林檎かは解らない。こちら側、観測者側でA、Bと決めない限り。林檎があまねく林檎だと考えている限り、AもBもない。そういう意味では、“林檎の中身は『林檎』じゃない”んだよ」
「俺も師匠も、人間ってくくりでは同じ存在、同じ……塊になるってこと……ですか」
「霊の中身、というより霊的な存在に於ける原初的存在――魂とかな、それが確かにその霊が持っていたものかは確かめようがないってことさ」

師匠は言い終えると、奥歯につまった繊維を舌先で取ろうとしているのか、口をモゴモゴ動かした。
めっきり食欲を失った俺は黙ったまま、その姿を見ていた。
やがてそれが取れたのか、師匠はこちらへ一瞥を投げると、

「すりおろされた林檎が確かに林檎であると確かめるとしたら、どうする?」
「食べれば味で解ります」

じゃあ、人間の中身が「人間」であると確かめるにはどうすればいいと思う?

俺は答えられなかった。目の前、皿の林檎がやけに重たげに映る。俺は目を閉じる。俺の中身が俺であることを祈りながら。

「食べてみれば解るかもな」

師匠はそう言うと、最後の一かけを頬張って笑った。
シャリという音が、まるで自らが林檎であると主張しているかのように響いた。

(了)