21世紀のハンバート・ハンバートに俺はなる(ならない)
■なぜか
あの女と『風立ちぬ』を観ている――というか聴いている。
戯れにSちゃんに安部公房の一節を送ってみたりするも、心は晴れない。この部屋に言葉はない。庵野秀明の台詞だけが部屋に流れる。
すげぇ可愛い女の子とかいないものかな。全国の童貞たちのルサンチマンを昇華した絶世の美少女とか。そうしたら俺は深淵を覗くことも深淵に睨み返されることもなくなる。むしろ美少女を見、美少女に見つめられることになる。なにそれすげぇいい。
つうか深淵が美少女ならいいのか。
そういや先日東京都庭園美術館で「オットー・クンツリ展」を見に行ったけど、そこで瞳の色をテーマにしている展示があって、とりあえずTちゃんの瞳をじっと覗き込んだ。深い、深い、澄んだ茶色をしていて、とてもとても、綺麗だった。しばし見つめ合ったあとで、Tちゃんは恥ずかしそうに目をそらした。
とまあ、そんな訳でとりあえず俺の前にはドロレス・ヘイズもクリスティーナ・リッチも現れないので、つまりはオフビートに流れている。
「人生とは何だ? 人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ?歴史とは失語症だ。芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ」
(三島由紀夫『獣の戯れ』)
僕は何も言わず、あの女に背を向けて、眠る。