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AQL日記

能登麻美子さんを愛する犬AQLの、読むと時間を無駄にする日記です。"非モテの星から来た男"のMEMEを云々。

『昭和元禄落語心中』

■すげぇアニメだ。

友人に勧められての昭和元禄落語心中第一話。こいつは何だか凄いアニメじゃねぇのかいというのが最初の感想。いつの間にやら居住まい正して正座で見ていて、痺れた足を押さえながらの一時間。あっという間にお仕舞いが来て、浮かんだ言葉は「やっぱりすげぇアニメじゃねぇか」。そんなこんなの昭和元禄落語心中、書かないつもりでございましたが、つらつら書かせていただき候。



■余韻の充実感。

このアニメを最初知ったとき、原作は中村明日美子先生なのではないかと僕は錯覚していた。実際は雲田はるこ先生でした、すみません。でも影響は受けているように感じる。キャラクター造形とか、横顔のバランスとか。同じジャンルの方々だし、接点はあるのではないだろうか。

さてそんなアニメなのだけれど、今季最大のダークホースなんてネットで言われている程度には評価が高い。構成や美術もさることながら、それはやはりキャスティングの妙に尽きると思う。関智一石田彰山寺宏一小林ゆう。重厚な役者陣は、一切の隙もなく内容に熱を持たせる。「落語」をアニメでやるっていうことは、つまりは声を聴かせるということで、映像なんてものは補足的なものでしかないし、それ以上の役目を持つべきではない。だからこそ「声」の持つ力は圧倒的であって然る。その点で関智一石田彰も素晴らしい熱を作品に灯す。その熱は見ているこっちを黙らせる。

彼らはそれぞれ「死神」「出来心」という落語を演じる。

「テケレッツのパァ」という「死神」の呪文は、一度くらいどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。僕は『大魔法峠』で穴掘りエリィ(cv.能登麻美子)が言っていたので知ったヨ。ちなみに脱線するが、僕の中での三大魔法少女作品大魔法峠』『絶対純白魔法少女』『魔法少女てんてるマロン』の三つだ。我ながらひどいラインナップだ。


さて、落語を映像作品で表現するというのが難しいことは想像に難くないだろう。本来の観客の視座からすれば、視点(画角)はある程度固定されている。これは映画と演劇の差異でもあって、どちらが優れているというわけではない。どう来るかと思えば、多彩な画角で小気味よくカットを割る手法だった。これは良い選択だったと思う。

どこかで読んだけれど、人間は「3秒までならどんな映像でも退屈しない」らしい。つまり3秒ずつ割って行けば理論上は「画」に退屈しないのだ(勿論その上でストーリーに退屈することもある)。同じ画をひらすら長回しすることは、アニメはあまり得意ではない。劇場用アニメならいざ知らずだが、それが意味のある長回しにつながるかというと難しいところだ。それ自体は嫌いじゃないけどね。FLCLとかね(極端)。

今作もまたカットを割って退屈しないように見せているが、これが目元や背中、汗の流れるうなじ、正座した足裏など、なんとも面白い画を持ってきていることが良い。本来の落語を観る環境では観られない光景をこそ、わざわざ切り取ってきている。実に漫画的とも言える(漫画は動かないから好きに切り取れる)表現だが、その上で足を組み替えたりの所作で演じ手の気持ちを表せているんだから感嘆の吐息が漏れるばかりだ。ロトスコープが使われたかは知らないけれど、気持ちよく成立させた妙技は素晴らしいとしか言いようがない。

また同時に、声の演技に集中したい声優さんからすれば、パクなしの画であればある程度まで自由が利く。この自由さがあることで、落語としての完成度を高めている。これが延々正面からの長回しであったら、きっと誰もが退屈するものになってしまっただろう。別にそれが悪いというのではなく、それだったら音源だけを聴いているのと変わらないだろう、という意味でだ。きちんと動き、なおかつその画角に演出的/技術的に意味がある。


無駄がない。
その無駄のなさは、自然と目を凝らさせる。目を凝らすと言っても粗さがしをするのではない、とにかくどこまでも入り込みたくなるのだ。まるで自分が寄席にいて、噺家さんのまさに目の前にいるような緊張感――。

笑い、泣き、感心する。そういった感情の機微が、すべて支配されている。
そんな雰囲気だ。


見終えた後の充足感も素晴らしいの言に尽きる。ぞっとするような面白さと、心地のいい疲労感。
落語の最中と日常とで、画角やカットの割り方に違いがあるのもまた上手い。ともすれば単調になりかねない「落語」という題材を描くとき、単調を恐れてとかくすべてを忙しくやってしまいがちだが、日常パートは引き目の画角で落ち着かせている。めりはりが上手い。落語を知らなくても、そのめりはりで惹き込まれてしまう。
噺の緊張感から、ストーリー展開の緊張感への「切り替え」もまた上手い。緊張感が微妙にそのかたちを異にしているために、観客の意識は釘付けでありながら飽きることがない。

ストーリーに関して言えば、かなり足早に進んだなという印象は拭えない。だが、「落語」の内容を「見立て」ている以上、ストーリーは補足的なものであればいい。注力したい箇所は、展開を自然に見せることよりも、落語という題材に触れてほしいということなのだろう。そこがしっかりしているからこそ、この作品は観客に媚びる必要がない。正攻法で戦おうという意気込みが、隙のない完成度につながっている。だからこそ、素晴らしいのだ。


昨今珍しい、堅実で面白いアニメだった。「落語」を知らなくても――いや知らなければ知らないほど良いのかもしれない。そんなふうに僕は感じたし、落語を知らないひとにこそ観てもらいたいようにも思う。この作品は多くのひとに、「落語」という文化に触れるきっかけを与えるに違いない。関智一石田彰らの灯した声の熱は、落語「死神」ラストの蝋燭のように消えたりはしないことだろう。次回も期待したい。



お後がよろしいようで。